読書状態: | 読み終わった | 期限日: | |
カテゴリ: | 博物館学 | 購入費: | - |
テーマ: | 未分類 | 入手日: | - |
タグ: | 読了日: | 2014/01/15 | |
公開度: | 公開 | 評価: | |
■ 蔵書メモ
相互貸借で貸していただいた貴重な書。児童・生徒にも読めるようにと、オールルビ付きの本。ただ、多くの棚橋関係者に取材して書かれ、特にプライベートな事情については初めて知ることばかりだった。棚橋の話もだが、関係者への相当な聞き取りによってこの本を書かれた著者(『愛するタニシの臨終』の著者?)にも、興味が湧く。まだ、ご存命ではないだろうか。
それはさておき、本書を読んで一番驚いたのは、棚橋が長男を戦争で亡くしていることだった。だとしたら、彼は、戦前戦中の自分を、戦後反省しなかったのだろうか? 『博物館研究』のバックナンバーや、宮本馨太郎との対談を読む限り、そんなそぶりは見受けられない。『博物館研究』の復興第一巻第一号に「これには最近のソヴイエツトロシヤの遣口を参考にする必要がある」(1946年)と書いているのだから、どの口がそれを言う、と思う。棚橋は(日本の)博物館(の発展)のためなら何でも利用する、だったのだろうか。そして、これは棚橋に限らず、今日の博物館関係者にもありがちな姿勢に見えてしまうのだが。例えば、直近の博物館法改正の時とか。
もう一つ驚いたのは、棚橋が最初の結婚相手を離縁したいきさつだ。最初に棚橋が結婚した女性は、新婚半年後、体調が悪くなった。これを見た棚橋の母が心配して県立病院で診察して貰ったところ、静養が必要ということで、実家へ帰らせた。そして、母は、せつせつと離縁するよう勧めたという。「孝行者の源太郎は、母のいさめに逆らうことは出来なかった」。源太郎は最初の妻を離縁し、別の女性と再婚した。ところが、離婚した最初の妻は、妊娠していて、源太郎の子を産んだのである。生まれた子は棚橋の実家が引き取り、のちに養子に出された。この子は、のちに東京の棚橋家から大学に通う。
さらに、戦死した棚橋の長男には、お嫁さんがいた。この女性は棚橋夫妻に仕え、疎開生活を支え、1948年、子どもがなかったこともあり、棚橋家を離籍した。
この二人の女性が、本書の執筆者によって取材を受けていることから、新たな人生を歩まれたのだろうとかすかに推測し、その点は救われる気がするが、これが、戦前戦後間もない頃にごく普通に行われていた慣習なのだろうと想像し、「棚橋源太郎」とか「博物館」とかを離れて強く印象に残った。つい先日、近所の病院にインフルエンザの予防接種を受けに行った際、一緒に待っていたおばあちゃんが、やはり妊娠しないというので、お姑さんに、病院に連れて行かれた、という話をしているのを耳にした。このおばあちゃんは、病院で問題なしとされ、ダンナもかばってくれたそうだ。だとすると、棚橋はマザコン説が浮上するかもしれない。
あと、棚橋の長男は、陸軍少尉だったそうなので、家族としては覚悟の上の戦死だったのだろう。この辺はよく分からないが。
いずれにしても、初めて知る棚橋の生涯は読みごたえがあった。棚橋の(あるいはこの時代に生きたエリートは)非常に勤勉だったという点は尊敬に値する。棚橋も苦学の人であり、実によく学んだ優等生だった。優等生はとかく方向性を間違う、というのが本書を読んだ感想である。
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